腰痛のため応援に行けず、カミさんから聞いた話で東京マラソンのレポートを書こうと思っていたが、なんだかんだと時は過ぎてしまい、レポートをアップするタイミングを逃してしまっていた。
このままやり過ごしてしまおうかとも思ったが、カミさんが「いつ書くの?」と、チクチクと催促してくる。
そんなわけで、今さらになってしまったけれど、東京マラソン2008のレポートを。
2月17日。昨年とは違い、富士山がくっきりと見えるほどの晴天だった。
カミさんが新宿駅に到着したのは7時20分。西口の改札は、初詣のような混雑ぶりだったそうだ。
会場の入り口に着き、係の人にゼッケンを見せてランナーズエリアへ。このエリアにはランナーのみしか入れない。
案内図で更衣室を確認。混んでいるだろうと思っていたが、予想に反してテントの中はまだ余裕があった。荒川市民マラソンのテントの方が混んでいる。
しかし、更衣室と荷物預けの場所とスタート地点、それからトイレの場所がそれぞれ離れていて、着替えてからは一苦労したようだ。
荷物を預け、トイレに行って、スタート地点にたどり着いたのは8時40分のことだった。
1ヶ月以上も前から、「何を着て走ろうか?」とさんざん迷っていたカミさん(まるで披露宴にでも着ていく服を選ぶような感じだった)が、当日に着用した服装は、長袖Tシャツにウィンドブレーカー、ロングタイツとその上に短パンというスタイル。
しかし、それでも2月の東京の朝は寒い。受付時にもらったビニールのポンチョを着ていたが、それでも寒さはしのげず、両手にミニホカロンを握りしめていた。
カミさんの前に立っている半袖のウェアを着た男性の腕にはびっしりと鳥肌が立っていた。
その姿があまりにも寒そうだったので、カミさんはその男性の腕にホカロンをくっつけてあげようかと思ったそうだが、いきなりそんなことをやったら変な女だと思われてしまうのでやめたそうだ。
「寒いなぁ。早くスタートしないかなぁ」と思っているところへ、友人からメールの着信。カミさんより少し前のブロックにいるとのことだった。
まだスタートまで時間があるので、電話をかける。
「寒いねぇ~」というと、去年も出場しているカミさんの友人は、「雨が降っていた昨年よりは、ずっといいよ」と言っていた。
スタートまでまだ、30分。
寒い中、待っている時間がとてつもなく長く感じられるものだが、そんな中、ちょっとおもしろい出来事があったそうだ。
スタートまでの手持ちぶさたの時間、何気なくあたりをキョロキョロと見回していると、誰ともなく上の方を見上げている人に気が付いた。
つられてカミさんも上の方を見ると、高層マンションが目に入った。そして、そのマンションの上層階のベランダから一人の女性がランナーに向かって手を振っていたそうだ。
最初は一人のランナーが、ベランダで手を振っている女性に気がついたのだろうが、カミさん同様、周囲のランナーたちも次々と高層マンションのベランダから手を振る女性に気づく。
ベランダの彼女に手を振り返すランナーの数は、あっという間に数千人くらいまで広がった。
マンション前にいる何千人ものランナーが、一人の女性に向かって手を振るという光景は、
まるで天皇陛下に手を振る一般参賀の時の国民のような感じで、その様子がおかしくて、ランナーたちに、ざわざわとした笑い声と、ほんわりとした暖かい空気が流れた。
9時10分。
いよいよ、スタートの号砲が鳴った・・・ような気がした。
カミさんのスタート位置までは号砲は届かず、周囲の雰囲気と時計の時刻でスタートだとわかった感じである。
スタートラインまでの途中、ポンチョが脱ぎ捨てられた山があったので、カミさんもポンチョを脱ぎ、ホカロンも捨てた。
12分40秒ほどかかってスタートラインへやっと到着。
石原都知事の姿が目に入ったので、「こんなに素晴らしい大会を実行してくれて、ありがとう」という気持ちを込めて手を振ったカミさん。
3万人もいるというのに、道が広いせいで走りづらい感じがしない。
歌舞伎町では大学の応援団が。いきなり元気が出る。
スタート前はあれほど寒かったのに、走り出してものの数分もしないうちに暑くなる。
今回のマラソンは、僕が応援に行かないかわりというわけではないが、カミさんの両親や友人が応援に行っていた。
沿道で応援する人たちを見つけるため、カミさんは、ずっと沿道付近を走る。
東京マラソンは、カミさんが参加したほかのどの大会よりも、応援の数が多かったそうで、スタート地点からゴール地点まで、応援が途切れることがほとんどなかったそうだ。
皇居のお堀端に来ると、皇宮警察音楽隊の演奏がランナーたちを盛り立てる。ランナーたちが手を振ると、音楽隊の人たちも楽器を吹きながら器用に手を振り返してくれる。
距離が進むにつれ、沿道の応援も増えてくる。
とにかく応援が素晴らしく、楽しいレースだということは聞いていたが、東京マラソンの応援は本当に感動的だったようだ。
日比谷公園を過ぎて、しばらくしたところでは、一人の男性が「あと30kないよー!がんばれー!」と応援してくれたそうだ。
それを聞いて、カミさんは「そうだ、そのとおりだ!」と、心の中で膝を打った。
まだ10kちょっとかと思うと先が長く思えるが、「30kないよ」と言ってもらえたら、楽勝に思えたそうだ。
その応援はカミさんにとって、心に残った応援の言葉のひとつになった。
スタートしてからずっと我慢していたトイレ。芝園橋交差点の公衆トイレは、並んでいる女性が少なかったので、ラッキーと思って列に並んだカミさん。しかし、ひとつしかなかったので、列はなかなか進まず、ここで約12分をロス。
日比谷通り沿いで応援してくれる人の数はそれほど多くないが、フレンドリーな感じの人たちが多かったそうだ。ランナー一人一人の顔を見てしっかり声をかけてくれる。
それが嬉しくて、声をかけられるたびに「ありがとう」と答えながら走ったカミさん。
小学生の女の子のグループがハイタッチを求めてくる。順番にタッチしていくと、彼女たちも大喜びだったそうだ。
品川で折り返し、銀座へ。
そこで、驚くカミさん。
それまでの沿道とは比べものにならないくらいの人、人、人。
「ひえ~!すごすぎる~」
とにかく応援が多くてびっくりだったそうだ。
カミさんの両親は、数寄屋橋の交差点から銀座四丁目の交差点の途中のどこかで応援する予定だった。
しかし、こんなに人が多いと、お互いに見つけられないかも・・・。
と諦めかけたとき、名前を呼ばれたカミさん。
カミさんの両親が見つけたのである。
「わ~っ、ありがと~っ!」と、子供のようにはしゃいで駆け寄るカミさん。
すると、両親の周辺にいた見ず知らずの人たちも一緒になって盛大に応援してくれた。
後から聞いた話なのだが、カミさんの両親は周囲の人たちから「お孫さんですか?」と言われたそうである。
周囲の人たちには、女子学生くらいにでも見えたのだろうか?ぼくには謎である。
銀座は、とにかく応援の数がすごい。
そして、応援は、確実にランナーにチカラを与えていくようだ。
体が軽く、今までの大会で一番調子よく走っているという気がしたそうだ。
そして、何よりも走っていて「楽しい!」と感じたそうである。
いろんな応援の仕方があり、―――ハイタッチあり、演奏あり、工夫をこらしたかけ声ありで、走りながらニヤニヤしてしまうほどだったとのこと。
応援もさることながら、私設エイドの数もすごかったそうだ。
私設エイドと言っても、一人で「チョコあるよ~!」「飴あるよ~!」という人から、数人で食べ物を配っている団体などさまざまだ。
「クランキーチョコ」を配っている人を横目でキャッチしたカミさん。一瞬ためらってしまい通り過ぎそうになったが、一歩戻って「ください!」と受け取ったカミさん。
その様子をたまたまボランティアのおじさんに見られ、クスっと笑われてしまったそうだが、そこまでしてもらったクランキーチョコは格別においしかったそうである。
東京という街は、実にいろんな顔を持っている。
銀座のようなおしゃれな街もあれば、人情味あふれる町もある。
浅草に近づくと、チャキチャキの江戸っ子って感じのおばさんが、「もうちょっと行ったら浅草だからね!がんばんな!」と声をかけてくれる。
思わずチャキチャキの江戸っ子になったような気分で「ハイっ!」と元気いっぱいに答えたカミさん。下町の人情はなんとも気持ちがいい。
浅草寺の前あたりでは、小学生のブラスバンド演奏。
食べ物を差し出してくれる人もどんどん増えてくる。
缶コーヒーを1本片手に持って差し出してくれる人もいたそうだ。
きっと、頑張って走っているランナーたちを見て、自分も応援したい、ランナーたちに何かあげたいと思ったのだろう。
缶コーヒーはもらわなかったが、カミさんは彼の気持ちを受け取った。
彼の気持ちは、きっと多くのランナーたちに伝わっていたと思う。
日本橋を過ぎたころ、沿道からカミさんの名前を呼ぶ声。
カミさんの友人が、カミさんを発見してくれたのである。
さらなるパワーをもらって、走り続けるカミさん。
しかし・・・。
30kを過ぎたあたりから、それまでなんともなかった左膝に少し痛みが出てきた。
いつものことだが、30k過ぎるとガクっとペースが落ちてしまうカミさん。
いつもの痛みだと言い聞かせ、痛みと闘いながらなんとか前へ進んでいく。
午前中は真っ青だった空にも雲が出てきて、日差しがかげり、海風も寒く感じられる。
「あと少しあと少し」
呪文のように頭の中で唱えながらのろのろ進む。
脇に寄って眉間にシワを寄せながら屈伸していると、孫を連れたご年配の女性が「飴食べる?」と差し出してくれた。
「干し梅」だった。
今まで甘い物ばかりを口にしていたので、とにかくおいしく感じられたそうだ。
エネルギーが入った気分になってゴールを目指す。
見覚えのある道。
1年前の東京マラソンで、ぼくとカミさんは、ゴール手前5キロ付近からゴールまで歩きながら応援したので、ゴールが近いということがわかったカミさん。
しかし、スピードをあげたいが膝が言うことをきかない。
気持ちは前へ進むが体は、なかなか前へ進まない。
最後は、気力と沿道のたくさんの応援に励まされながら走る。
そして、やっとの思いでゴール。
「ああ、楽しかった!」
ゴールした瞬間のカミの感想である。
ゴール後、ヒートジャケットをもらってかぶる。
そして、バナナや水やメダルやいろんなものをもらうと、あっという間に大荷物に。
高校生くらいの女の子がチップを外してくれた。寒さの中で手が冷たくなって大変だったことだろう。
荷物を受け取りに行くと、番号順に整然と並んでいる。昨年は荷物受け取りが大変だったというのが信じられないくらいスムーズだったそうだ。
ここでもまた、高校生くらいの女の子が気持ちよく荷物を渡してくれる。
ゴール後は、あちこちにいるボランティアの人達が「おめでとう」とか「お疲れさま」と声をかけてくれる。
最初から最後まで、こんなにたくさんの人に「がんばって!」と言われたことも、こんなにたくさんの人に「ありがとう」と言ったこともないマラソン大会だったそうだ。
給水のたびにボランティアの人達みんなが応援してくれる。
あらゆる年代のボランティアがいた。
抽選にもれた人たちも、沿道の応援やボランティアの中にもたくさんいたと思う。
「走らせてもらって心から感謝」した東京マラソン2008 。
東京マラソンは、とにかく素晴らしい大会だった。
実際に走ってみて、そう感じたカミさんだった。
タイム
フィニッシュゲートの時計では5時間11分。
スタートラインまでの時間を考えるとネットタイムでは5時間を切ったかもしれない。
だけど、あくまでも「グロスタイムで5時間を切ってみたい!」と願うカミさんだった。