「もう、起きて!」
とカミさんに揺すられて目を覚ましたぼく。
午前4時15分。ぼくは眠くて仕方なかった。というのも、昨晩はなかなか寝つくことができなかったからだ。カミさんは早く寝ついたようだがぼくは3時間も寝ていない。
さすがにこのときばかりは、「もう、カミさんのマラソンに付き合うのは、これを最後にしよう」と思った。
それくらいぼくは眠たかったのである。
外を見ると、雨。昨夜から雨は容赦なく降り続けている。
「ホントにこんな天気でも大会は開催されるんだろうか?」
と疑問をいだきつつも支度をすませ車に乗り込んだ。
永福から首都高に乗り中央高速に入り、談合坂サービスエリアで小休止。
午前6時。ジャージ姿の人々がちらほら。きっとレースに参加する人たちだろう。
コンビニで買ったおにぎりで朝食にする。
カミさんはおにぎり2個、バナナ1本をたいらげる。
「いつもの朝食よりもちょっと多いんじゃない? そんなに食べたら、またお腹こわすよ」
と、ぼく。
「だって、走ってる途中でエネルギーが切れてお腹すいたら困るもん」
と、カミさん。
過去のレースにおいて、何度か食べ過ぎでお腹の調子を悪くしていたので、親切にも忠告したのだが、相変わらず旦那の言うことを聞かないカミさんなのである。
まっ、言うことを聞かないのは毎度のことなので、その話題は早々に切り上げて出発。
午前6時50分。都留インターを過ぎたあたりで、さらに雨足が強まる。
まるで台風でも来ているかのようで、前が見えない!
ワイパーを一番早く動かしても前が見えない。
前を走っている車のテールランプがかろうじて見えるという感じだ。
おまけに稲光も!
「ヒェ〜!ホントにこれでもやるの?」
強まる雨を見て、最初は少々不安になったりもしたが、ここまでひどい状況に陥ると逆に開き直ってしまうから、人間とは不思議なものである。
「すごい天気だねぇ〜!」
カミさんとぼくはとうとう笑い出してしまった。
「まっ、なるようになるでしょ」
という感じでもあったし、
「どうしようもないものは、どうしようもないね」
という感じでもあった。
午前7時。山中湖インターを降りたら最早、渋滞していた。
大雨でも高速道路に乗って山中湖まで来てマラソンなんぞをしようとするチャレンジャーが、こんなにもたくさんいるんだなぁと、ぼくは少し呆れながらも感心してしまった。
午前7時半。山中湖をぐるりと囲む道路は、既に大渋滞していた。
午前8時。現地の消防団の人に誘導されて、湖畔に車を停車する。
地図を見ると、停車した場所から大会会場まで歩いて10分くらいはかかりそうだった。
相変わらず雨は大降りである。
会場の更衣室は混雑していそうな気がしたし、こんなに雨が降っているのならどこで着替えても濡れるのは変わりないということで、カミさんは狭い車の中で着替えをした。
ぼくも支度をすることにした。カッパの上下を着用し、靴下を脱いでビーチサンダルを履いた。デジタルカメラはビニール袋に入れた。
カミさんは、この後に及んで着用するウェアで悩んでいた。
袖無しのシャツにするか、半袖か、それとも長袖か…、う〜ん、それが問題だ。
と、ハムレットのように悩み、ロダンの彫刻のように考えていた。
「走ると暑いだろうし、雨だから寒いかもしれないし…」
結局カミさんは、袖無しシャツを選び、以前購入しておいた100円ショップのポンチョを着て走ることに決めた。(このポンチョは、雨が降りそうだった荒川マラソンのときに購入しておいたものである)
いざ、大会会場である山中湖中学校へ。
中学校の校庭はあちこちに水たまりが出来ており、ぐしゃぐしゃだった。
なんだかんだと、あっと言う間にスタート時刻が迫ってきた。
毎度のことながら、スタートラインに立ったのは、開始5分前というギリギリの時間だった。
いつも、こうなのだ。
カミさんは時間にギリギリ、もしくは遅れるということが日常茶飯事3時のおやつ事なのである。
それは時間を無駄にしない行動とも言えるかもしれないが、カミさんの場合は贔屓目に見てもそうとは言えない。ただ単にギリギリなだけなのである。
スタートを待つランナーたち。相変わらず雨は降っている。
スタート時の気温。結構寒かった。ぼくはトレーナーを着ていた。
「みなさん、スタート台にご注目ください」
とのアナウンス。
はて、誰がいるのだろうと、スタート台に視線が集まった。
「トリノオリンピック、スピードスケート選手の岡崎朋美さんが応援にかけつけてくれました!」
その途端、
「ウォォオオ〜!!」
と大歓声。
岡崎朋美さん、大人気である。
カミさんも思わず、
「ウォオ〜!」と、まるで「オヤジ」のように低く唸ってしまったそうだ。
自分の唸り声を聞いて、オヤジ化してしまったと落ち込む。
しかし、その暇もなく、とんでもない「正真正銘のおやじ」を目の当たりにしたカミさんだったのである。
そのおやじはカミさんの隣にいて、岡崎朋美さんに向かって、
「お〜い!おい、おい、おい、おいっ!」
と大声で呼びかけていた。
まるで自分の知り合いに遠くから呼びかけているような、あるいは自分にも手を振ってくれ!こっちを向いてくれ!と言わんばかりに、
「オイッ!オイッ!オイッ!オイッ!オイッ、オ〜イッ!!」
と、力の限り叫んでいたそうだ。
スタート前からそんな大声を出して無駄なエネルギーを消耗しても大丈夫なのか!?と心配になるほどの絶叫ぶりだったらしい。
スタートの合図の瞬間。
見事にシャッターチャンスを捉えたぞっ!
宮沢賢治のように雨の中を走り出すランナーたち。
「アメニモマケズ・・・」
あっけないほど、あっと言う間にランナーたちは駆け抜けていってしまった。
やはり雨のせいか参加者が少なかったのだろうか。
さて、ぼくはカミさんの荷物と傘、自分の傘とカメラを持って、車へ戻ってひと休みしようと雨の中を一人トボトボと歩く。
「喫茶店にでも入ってゆっくりとコーヒーでも飲むか」
………と思ったのだが、甘くはなかった。
トイレに行ったり喫茶店を物色したり、濡れた足を拭いていたりとしていると、
「トップのランナーがやってきます! みなさん、応援してあげてください!」
とアナウンスと共に先導車がやってきた。
ぼくは、休む間もなく沿道に立って応援を始めた。
トップランナーたちが、雨にも負けず、水しぶきを上げながら勇ましい姿で続々とやってきた。
ぼくが応援していた場所。
ランナーも大変だが、雨の中の応援もそれなりに大変だ。
でも、やっぱりこの雨の中を走る人々の姿には心打たれる。
自然と応援したくなってしまう。
「がんばれっ!」
そう声を投げかけると、ご年配のランナーが、
「ありがとう」
と、苦しそうな息づかいの中、応えてくれた。
あ〜。もうダメ。
ぼくは、こういうのに滅法弱いのである。
胸が熱くなってきて、思わず涙がこぼれそうになってしまった。
そうなると、ぼくはもう止まらない。
誰にも止められなくなってしまうのである。
「ファイト!」
「頑張れ!」
と、出来るだけ一人一人に向かって声援を送り続けた。
ランナーたちが力の限り走る続けるように、ぼくも声が出る限り、声援を送り続けた。
「ありがとう!」
「がんばるよっ!」
「おぅ!」
「応援、ありがとう〜!」
と様々な声が返ってくる。
満面の笑顔を向けてくれるランナー、手を振ってくれたりピースサインをするランナー、声は出ないが会釈してくれたり、視線を送ってくれるランナー……。
外人さんには、
「Good Job!」
と声援を送った。
嬉しそうに手を振ってくれた。
ちょっとホノルルマラソンを思い出した瞬間である。
でも、走りながら応援に応えるのって、人によってはけっこうキツイこともあるんだろうなぁ…。
声を出すことさえ、つらい人もいるんだろうなぁ…。
そう思うと、ますます応援する声に力が入ってしまうぼくなのであった。
そんなこんなで声援を送り続けていると、カミさんが目の前にやってきた。
ランナーを応援するのに夢中で、写真を撮ることも出来ず終い。
まっ、そんなこともあるでしょ。
後でカミさんに聞くと、
「あんたの声は、遠くからも聞こえたよ。一番目立ってたよ」
とのことだった。
カミさんが通り過ぎたので、ぼくは再び歩いてゴール地点へと向かう。
山中修道院前ではシスターたちも応援。
ゴールのある中学校。
ぼくは、しばらくゴール前でカミさんを待っていたのだが、なかなかやってこない。もうしばらくかかるかなと思い、トイレで用をたしていると、携帯電話が鳴った。
「どこにいるの?」
とカミさんだった。
どうやらゴールしたようだった。
第2部へ続く。